なぜBSMから始めるのか
BSMモデルは1973年にBlack & Scholesが発表して、Mertonが拡張した。50年以上経った今でもオプション市場の共通言語であり続けている。IVサーフェスもGARCHもヘストンも、全部BSMからの拡張・修正として定義される。だからまずBSMを整理する。
1. 幾何ブラウン運動
BSMモデルは、原資産価格 St が幾何ブラウン運動(GBM)に従うと仮定する。
dSt=μStdt+σStdWt
μ はドリフト(期待リターン)、σ はボラティリティ(リターンの標準偏差)、Wt は標準ブラウン運動(ウィーナー過程)。
伊藤の補題を lnSt に適用すると、
d(lnSt)=(μ−21σ2)dt+σdWt
これを積分すると、対数株価が正規分布に従うことがわかる。
lnST=lnS0+(μ−21σ2)T+σTZ,Z∼N(0,1)
だから ST は対数正規分布に従う。
ST=S0exp[(μ−21σ2)T+σTZ]
BSMの6つの前提
それぞれ現実との乖離を意識しておくと、後で何を拡張しているかがクリアになる。
- GBMに従う dS=μSdt+σSdW。現実にはファットテールやジャンプがある
- σは定数 σ(t,S)=σ。現実にはIVスマイル/スキューが存在する
- 連続取引 Δt→0 で連続ヘッジ。現実には離散的で取引コストもかかる
- rは定数 dBt=rBtdt。現実には確率的金利
- 配当なし q=0。Merton拡張で対応する
- 無裁定 自己充足的ポートフォリオの存在。現実には市場の不完全性がある
2. Black-Scholes偏微分方程式
コールオプション C(S,t) と原資産でデルタヘッジ・ポートフォリオ Π を構成する。
Π=C−ΔS
Δ=∂C/∂S を選ぶと、dt の間に Π の変化からリスク(dW 項)が消える。無裁定条件 dΠ=rΠdt からBlack-Scholes PDEが導かれる。
∂t∂C+21σ2S2∂S2∂2C+rS∂S∂C−rC=0
Greeksの記法を使うとこうなる。
Θ+21σ2S2Γ+rSΔ−rC=0
この等式は全Greeksが整合的かどうかの検証に使える。μ がPDEに現れないのがポイント。これはリスク中立価格付けの本質的帰結。
ヨーロピアン・コールの境界条件は、
C(S,T)=max(ST−K,0)
これがterminal condition。あとは C(0,t)=0、S→∞ のとき C(S,t)→S−Ke−r(T−t)。
3. リスク中立価格付けとBSM公式
ギルサノフの定理で確率測度を P から Q に変換すると、St のドリフトが μ から r に変わる。
dSt=rStdt+σStdWtQ
WtQ=Wt+σμ−rt は Q の下での標準ブラウン運動。
Q の下で対数株価は、
lnST∼N(lnS0+(r−21σ2)T,σ2T)
コール価格はリスク中立測度の下での割引期待ペイオフ。
C=e−rTEQ[max(ST−K,0)]
ST の対数正規性を使ってこの期待値を解析的に計算すると、BSM公式が出てくる。
C=S0N(d1)−Ke−rTN(d2)
P=Ke−rTN(−d2)−S0N(−d1)
N(⋅) は標準正規分布の累積分布関数。d1,d2 は以下の通り。
d1=σTln(S0/K)+(r+σ2/2)T,d2=d1−σT
d₁, d₂の解釈
- N(d2) はリスク中立測度 Q の下で ST>K(ITMで満期を迎える)確率
- N(d1) はデルタ。S が $1 動いたときの C の変化。S で測った行使確率
- S0N(d1) は条件付き期待値 e−rTEQ[ST⋅1ST>K]
- Ke−rTN(d2) は行使される場合に支払う行使価格の現在価値
d1 は「ログモネイネス+ドリフト項」をボラティリティで標準化したもの。d2 はフォワード測度の下での対応物。
5つの入力パラメータ
- S スポット価格。直接観測可能。市場データからリアルタイムで取得
- K 行使価格。契約で決定。オプション契約仕様から取得
- T 満期までの時間。契約で決定。年単位(T=days/365)
- r リスクフリーレート。ほぼ直接観測可能。国債利回りから取得
- σ ボラティリティ。観測不能。ヒストリカルVol or IVから推定
4つは観測可能だけど σ だけは直接観測できない。これがIVを逆算する動機になる。
4. プット・コール・パリティ
無裁定条件の下で、同一の S,K,T,r を持つヨーロピアン・コールとプットの間にこの関係が成立する。
C−P=S0−Ke−rT
これはモデルフリー(BSMに依存しない)の関係式。BSM公式から直接検証できる。
C−P=S0N(d1)−Ke−rTN(d2)−Ke−rTN(−d2)+S0N(−d1)
N(x)+N(−x)=1 を使って、
=S0(N(d1)+N(−d1))−Ke−rT(N(d2)+N(−d2))=S0−Ke−rT
パリティが崩れてたら、まず実装のバグを疑う(一番よくある原因)。次に市場データの裁定機会の可能性(実際にはビッド・アスクスプレッドで吸収される)。あとは配当や早期行使の影響で、アメリカンオプションだとパリティは不等式になる。
5. Greeks
すべての偏微分は n(x)=2π1e−x2/2(標準正規密度)を使って表現される。
Delta Δ
原資産感応度。
Δcall=∂S∂C=N(d1),Δput=N(d1)−1
コールのデルタは 0≤Δ≤1。ATM(S≈K)で Δ≈0.5。
Gamma Γ
デルタの変化率(Call/Put共通)。
Γ=∂S2∂2C=SσTn(d1)
Γ>0 は常に成立。ATM付近で最大で、満期が近いほど鋭いピークになる。
Vega 𝒱
ボラティリティ感応度(Call/Put共通)。
V=∂σ∂C=Sn(d1)T
V>0 も常に成立。σ が上がればCall/Put両方値上がりする。実務では1pp移動あたり(V/100)で報告することが多い。
Theta Θ
タイムディケイ。
Θcall=−2TSn(d1)σ−rKe−rTN(d2)
Θput=−2TSn(d1)σ+rKe−rTN(−d2)
オプション買い手にとって Θ<0(時間が経つと価値が減る)。実務では Θ/365 で1日あたりの減価を報告する。
Rho ρ
金利感応度。
ρcall=KTe−rTN(d2),ρput=−KTe−rTN(−d2)
短期オプションだと無視できるけど、LEAPSだとそうもいかない。
二次Greeks
- Vanna =∂S∂σ∂2C=−σn(d1)d2。σ 変動に対する Δ の変化。スキュー取引のリスク管理に重要
- Volga =∂σ2∂2C=Sn(d1)Tσd1d2。σ 変動に対するVegaの変化
- Charm =∂S∂T∂2C=−n(d1)[2TσT2(r−q)T−d2σT]。時間経過による Δ 変化(Delta Bleed)。ヘッジのリバランス頻度判断に使う
- Speed =∂S3∂3C=−SΓ(σTd1+1)。Γ の変化率
BSM PDEとの整合性
Θ+21σ2S2Γ+rSΔ−rC=0
Gamma-Thetaトレードオフ。 r≈0 のとき上式は近似的に、
Θ≈−21σ2S2Γ
Gammaをロング(買い持ち)するとThetaを支払う。Gammaをショートすると毎日Thetaを受け取るけど、大きな価格変動のリスクを負う。これがオプション取引の一番基本的なトレードオフ。
Call/Put対称性
パリティから導出される関係として、Γcall=Γput、Vcall=Vput、Δput=Δcall−1 が成り立つ。
参考文献
- Black, F. & Scholes, M. (1973). "The Pricing of Options and Corporate Liabilities." J. Political Economy, 81(3), 637-654
- Merton, R.C. (1973). "Theory of Rational Option Pricing." Bell J. Economics, 4(1), 141-183
- Hull, J. (2024). Options, Futures, and Other Derivatives (12th ed.)
- Wilmott, P. (2006). Paul Wilmott on Quantitative Finance (2nd ed.)
- Shreve, S. (2004). Stochastic Calculus for Finance II
- Derman, E. & Taleb, N. (2005). "The Illusions of Dynamic Replication." Quantitative Finance, 5(4), 323-326
- Sinclair, E. (2020). Volatility Trading (2nd ed.)
- Haug, E.G. (2007). The Complete Guide to Option Pricing Formulas (2nd ed.)
- Merton, R.C. (1976). "Option pricing when underlying stock returns are discontinuous." J. Financial Economics, 3, 125-144
- Heston, S. (1993). "A Closed-Form Solution for Options with Stochastic Volatility." Review of Financial Studies, 6, 327-343